2012年 11月 21日
お味噌汁 |
3か月も放置していたブログですが、
そんな中でもアクセスしてくださった皆様、
どうもありがとうございます。
8月後半に義母の末期がんが発覚し、
その後10月末に亡くなり、今に至ります。
その間は、お料理会など予定をすべて白紙にして
義母に寄り添い見送りました。
義母は当時すい臓がんの末期と診断され、週単位の余命を
言い渡されました。
その後、食欲がなく毎日一口二口しか食べられない状態で
2か月過ごしました。
(栄養の点滴は腹水や胸水がたまりやすいので、
かえって寿命を縮めるとの医師の判断でしませんでした)
徐々に徐々に…本当に少しずつカラダが弱っていく姿を
見守っていくのはつらいものでしたが、
同時にそれは、人というのは食べなくても生きていられるんだと
いう驚きと発見でもありました。
そして、終始ほとんど痛みもなくこの世を去りました。
(お薬を使ったのは、最後の一日半のみでした)
最後にひと月お世話になったホスピスでは、とても手厚いケアを受け
義母も私たち家族もとても良い時間を過ごすことができたと思います。
義母が亡くなるまでの2か月間毎日好んで口に入れたものは、
「お味噌汁」のみでした。
私と義妹と交代で毎日お味噌汁を届けました。
たぶん今まででもっとも真剣にお味噌汁を作った日々だったと
思います。
義母はお味噌汁で2か月間のいのちを繋いだのだと思います。
それは、昆布と干しシイタケのマクロビ的おだしの味噌汁ではなく、
義母の欲する昆布といりこ(又はあご)のおだしの味噌汁でした。
食養の勉強をしてきた私ですが、
最後はやはり本人の好きなものを食べてもらいたいと思い、
あれこれ勧めることはしませんでした。
唯一受け入れて飲んでもらったのは、黒炒り玄米茶だけでした。(1か月間)
私や家族も毎日同じ味噌汁をいただいたので
そのおかげで日々を乗り越えられたようにも思います。
きっとこれから毎日、
味噌汁を作るたびに、義母の事を思い出すことでしょう。
お味噌汁って偉大だなぁと改めて思うこの頃です。
そんな中でもアクセスしてくださった皆様、
どうもありがとうございます。
8月後半に義母の末期がんが発覚し、
その後10月末に亡くなり、今に至ります。
その間は、お料理会など予定をすべて白紙にして
義母に寄り添い見送りました。
義母は当時すい臓がんの末期と診断され、週単位の余命を
言い渡されました。
その後、食欲がなく毎日一口二口しか食べられない状態で
2か月過ごしました。
(栄養の点滴は腹水や胸水がたまりやすいので、
かえって寿命を縮めるとの医師の判断でしませんでした)
徐々に徐々に…本当に少しずつカラダが弱っていく姿を
見守っていくのはつらいものでしたが、
同時にそれは、人というのは食べなくても生きていられるんだと
いう驚きと発見でもありました。
そして、終始ほとんど痛みもなくこの世を去りました。
(お薬を使ったのは、最後の一日半のみでした)
最後にひと月お世話になったホスピスでは、とても手厚いケアを受け
義母も私たち家族もとても良い時間を過ごすことができたと思います。
義母が亡くなるまでの2か月間毎日好んで口に入れたものは、
「お味噌汁」のみでした。
私と義妹と交代で毎日お味噌汁を届けました。
たぶん今まででもっとも真剣にお味噌汁を作った日々だったと
思います。
義母はお味噌汁で2か月間のいのちを繋いだのだと思います。
それは、昆布と干しシイタケのマクロビ的おだしの味噌汁ではなく、
義母の欲する昆布といりこ(又はあご)のおだしの味噌汁でした。
食養の勉強をしてきた私ですが、
最後はやはり本人の好きなものを食べてもらいたいと思い、
あれこれ勧めることはしませんでした。
唯一受け入れて飲んでもらったのは、黒炒り玄米茶だけでした。(1か月間)
私や家族も毎日同じ味噌汁をいただいたので
そのおかげで日々を乗り越えられたようにも思います。
きっとこれから毎日、
味噌汁を作るたびに、義母の事を思い出すことでしょう。
お味噌汁って偉大だなぁと改めて思うこの頃です。
by my130
| 2012-11-21 18:38
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